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神戸地方裁判所明石支部 昭和45年(ワ)10号 判決

原告

山添昭

ほか二名

被告

金本龍星こと金龍奎

主文

1  被告は、原告山添昭に対し、金五万七、四〇八円およびこれに対する昭和四五年三月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告山添昭に対し、金一六万七、五四九円およびこれに対する昭和四五年三月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告は、原告山添昭、同山添俊幸および同山添綾子に対し、それぞれ、金三〇万円およびこれに対する昭和四五年三月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  原告らの各その余の請求を棄却する。

5  訴訟費用は五分し、その一を被告、その余を原告らの各負担とする。

6  この判決中第一、二項は仮に執行することができる。第三項は、「三〇万円」とあるのを「一〇万円」と読み替えた限度で、各原告において仮に執行することができる。

事実

(原告らが求めた裁判)

被告は、

原告山添昭に対し、金三四八万七、二六一円およびこれに対する昭和四五年三月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告山添俊幸および原告山添綾子に対し、それぞれ、金二九六万一、五一六円およびこれに対する昭和四五年三月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

(請求原因等原告らの主張)

一  原告山添昭は訴外亡山添貞子の夫であつたものであり、原告山添俊幸(昭和四〇年九月二四日生)は右両名間の長男であり、原告山添綾子(昭和四一年一〇月一六日生)は同両名間の長女である。

二  昭和四三年六月一一日、原告昭は、妻貞子を助手席に、原告俊幸および原告綾子を後部座席に同乗させて軽四輪自動車を運転し、同日午前一〇時三〇分ごろ神戸市須磨区大田町三丁目一の七番地先交差点にさしかかつたところ、その対面する同交差点東行信号が赤となり、先行車数台が交差点手前で停止したので、自らも前車たる大型貨物自動車の後方に続いて停止した。

すると、そこへ被告が運転する貨物自動車が追突し、その衝撃で、原告昭は約一〇日間の加療を要する頸部捻挫、右前腕挫傷等の傷害を負い、妻貞子もまた頸部捻挫、両膝損傷、上腹部打撲等の傷害を負つた。

三  右貞子は、右受傷により、同月一四日から同年七月四日までの間、同月九日から同月三〇日までの間および同年八月一七日から同月二八日までの間の三回にわたつて入院加療を受け、その余は通院して養生していたが、同年八月二八日、昏睡(肝性の疑い)、気管支肺炎等のため死亡するに至つた。

四  右貞子は、難症のいわゆるむち打ち症のため肉体的、精神的、社会的にあらゆる苦脳にもだえ、長期にわたる頸部のギブス固定、安静の強制、不安なる自律神経失調のもとに陰うつと酷暑の季節を病床に呻吟し、加えて食欲不振、嘔吐、悪心のために栄養状態が低下し、かくして、固体の適応力、復元力を弱めて生命力を低下させ、気道感染(扁桃腺炎、咽喉頭炎、気管支肺炎)に対しても抵抗力の弱い重篤な症状を呈し(薬疹の疑いを思わしめる)、肝機能の低下は終局においてついに肝性昏睡を起し、急速な死の転帰をとつて死亡するに至つたものであるから、前記受傷と死亡との間には相当の因果関係が存在する。

五  被告は、第二項記載の交通事故(本件交通事故)の当時、その運転する貨物自動車を保有し、これを自己のため運行の用に供していたものであり、加えて、自動車運転中は常に進路前方を注視すべき業務上の注意義務があるのにもかかわらずこれを怠り、前記交差点付近において時速約四〇キロメートルでまんぜん進行した過失により同事故を発生させたものであるから、原告昭の受傷および貞子の受傷と死亡によつて生じた損害を賠償する責任がある。

六  原告昭の受傷により同原告に生じた損害は次のとおりである。

(一)  治療費 計金二万〇、二六三円

内訳 イ 浜田病院分 一二、二二八円

ロ 中山外科分 八、〇三五円

(二)  休業補償一〇日分 金二万〇、八六〇円

同原告は、事故当時三菱重工業株式会社高砂製作所に機械工として勤務していたが、受傷のため一〇日間の休業を余儀なくされ、右同額の収入を失つた。

(三)  慰藉料 金三万〇、〇〇〇円

以上合計金七万一、一二三円也

七  貞子の受傷および死亡により原告昭に生じた損害は次のとおりである。同原告は、貞子の夫として、これらの出費を負担しなければならなかつた。

(一)  治療費 計金一八万五、〇〇五円

内訳 イ 浜田病院分 一四、四四四円

ロ 中山外科分 二六一、六一〇円

ハ 冨沢内科医院分 一、七〇〇円

ニ 高砂市民病院分 七、二五一円

右合計は二八五、〇〇五円であるところ、自賠責保険から医療費内金として一〇〇、〇〇〇円の仮払を受けているので、これを差引く。

(二)  入院にともなうつきそい費等 計金六万〇、二七〇円

内訳 イ つきそい費 五七、〇〇〇円

ロ 氷代その他の雑費 三、二七〇円

(三)  葬儀費用 計金二五万四、〇三九円

内訳 イ 葬儀費等 二〇八、三〇〇円

ロ 食料品代 四五、七三九円

(四)  供養雑費 計金五万五、三〇八円

以上合計金五五万四、六二二円也

八  貞子の受傷および死亡により貞子に生じた損害は次のとおりである。

(一)  事故当日から死亡までの間の、傷害による精神的苦痛に対する慰藉料 金五〇万〇、〇〇〇円

(二)  死亡による、得べかりし利益の喪失額 金三二八万四、五五〇円

貞子は昭和一六年七月一九日生れで事故当時二六歳であつたから、二七歳から就労可能年数六三歳までの間の健康な妻の家事労働による収益額を算出すべく、昭和四一年度平均年令別給与額の月収一月金二六、一〇〇円から同年度一月消費支出金額の全国世帯一人あたり金一二、六〇〇円を差引いた額を一二倍し、さらに就労可能年数三六年間に対するホフマン式計数二〇・二七五を乗じると、三、二八四、五五〇円になる。

以上合計金三七八万四、五五〇円也

なお、右(二)の損害は本件交通事故と貞子の死亡との間に相当の因果関係の認められることを前提としてはじめて主張するものであり、仮に右因果関係が認められないものとすれば、その額たる三、二八四、五五〇円を(一)の受傷による慰藉料額五〇〇、〇〇〇円に加え、同慰藉料額を三、七八四、五五〇円であると主張する。

これについての原告各自の相続額は次のとおりである。

原告山添昭 金一二六万一、五一六円也

原告山添俊幸 金一二六万一、五一六円也

原告山添綾子 金一二六万一、五一六円也

九  貞子が死亡したことにより原告各自が受けた精神的苦痛に対する慰藉料額は次のとおりである。

原告山添昭 金一六〇万〇、〇〇〇円也

原告山添俊幸 金一七〇万〇、〇〇〇円也

原告山添綾子 金一七〇万〇、〇〇〇円也

一〇  よつて、本件交通事故による損害賠償金として、

原告山添昭は、六、七ならびに八および九の各当該金額の合計 金三四八万七、二六一円

原告山添俊幸および同山添綾子は、それぞれ、八および九の各当該金額の合計 各金二九六万一、五一六円

と、そのそれぞれにつき、本件訴状が被告に送達された日より後である昭和四五年三月二九日以降の民事法定利率年五分の割合による遅延損害金との支払を被告に求める。

(被告が求めた裁判)

原告らの各請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

(被告の答弁)

一  原告主張第一項の事実は知らない。第二項については、交通事故発生の事実は認めるが、事故状況は争う。原告昭および貞子が受けた傷害の程度は知らない。第三、第四項については、貞子が死亡した事実は認めるが、事故と死亡との間に因果関係のあることを争う。第五項については、被告が本件事故当時被告の運転していた貨物自動車を保有し、これを自己のため運行の用に供していた事実は認めるが、被告に原告主張のごとき過失のあつたことは争う。第六ないし第九項については、原告昭が貞子の受傷と死亡にともない、立場上、その治療費、入院にともなう諸経費、葬儀費用、供用雑費等を負担しなければならなかつたこと、ならびに、第七項で主張されている金一〇〇、〇〇〇円の内払いの事実のみを認め、その余はすべて争う。なお、本件訴状が昭和四五年三月二八日以前に被告に送達されたことは認める。

二  (本件交通事故と貞子の死亡との間に因果関係がないことについて)

昭和四三年六月一一日本件交通事故当日の浜田病院での診断病名は頸部捻挫、上腹部打撲であり、転医後の中山外科においても、貞子は「むちうち症」の自覚症状を訴えて治療を受けていたものであり、その「むちうち症」の程度も、発熱なく、頸部エツクス線検査上も頸椎に異常の認められない軽症の部類に属するものであつた。このように同人は事故翌日から同年八月四日まで「むちうち症」の治療を受けていたが、同年八月五日に至つて夜間咳嗽および発熱があり、感冒様症状を呈し、これに対する治療として抗生物質および感冒剤の投与を同月一二日まで続けていたところ、同月一四日ごろから四肢の伸側に鮮紅色の発疹があらわれ、同月一七日にはそれが顔面、躯幹、四肢(主として伸側)に広がり、高砂市民病院の後藤医師の診断ではなんらかの中毒性発疹、壊疽性扁桃腺炎、アフター性口内炎とのことであつた。そしてこれに対する治療を続けていたところ、同月二二日、二三日と下熱し、頸部腫脹も軽快し発疹も消褪したが、再び同月二五日朝から四〇・五度の発熱と咳嗽があり、前同様の処置でいつたん同月二七日には下熱したものの、同日夜から咳嗽が強くなり、多量の喀痰を排出し、漸次呼吸促迫し、意識が嗜眠様となり、翌二八日朝には興奮状態を呈し、咳嗽もはなはだしく、泡沫状のかつ多量の喀痰を出し、再び発熱があつて呼吸困難が著明となり、酸素吸入を行うも、同月二九日午前二時一〇分ごろ死亡するに至つた。

このような経過からしても、貞子の死亡原因は死亡診断書にもあるように昏睡(肝性昏睡の疑)、気管支肺炎であると考えられる。はたして、胸部エツクス検査の結果右上肺野に陰影が認められていた。

本件交通事故で貞子が受けた傷害は頸部捻挫と上腹部打撲であり、この病名から昏睡と気管支肺炎が併発される必然性は素人が考えてもないように思われる。痒性発疹も、感冒症状を呈してその治療のため抗生物質と感冒剤投与後にあらわれたものであるから、本件交通事故との間に因果関係はない。栄養障碍についても、七月九日から三一日までの間の症状としては最初のころに食思不振とあるも、三一日退院当時はすでに食思良好とあり、胃レントゲン検査の結果でも所見なく、したがつて、感冒を患つた八月五日以降に食思不振をきたし栄養障碍になつたとしても、それは頸部捻挫によるものではない。

主治医であつた医師中山福夫は、むちうち損傷がはたして原因となるのか、直接原因でないとしても間接的にせよ関係するとすればどの程度なのかを推定するためには病理解剖がぜひ必要であるとの意見であり(この病理解剖は行なわれなかつた)、「頸部捻挫は自律神経に障害を与えることがあるが、私としてはこの患者の必然性がわからない。直接死因と交通事故傷害との関係は解剖しないことには私としてなんとも言えない。」と述べている。専門家の医師でも因果関係について肯定していない以上、貞子の死亡と本件交通事故との間には因果関係がないと言わざるを得ない。

以上のとおりであるから、貞子の死亡によつて生じたとされる損害の賠償請求は理由がないというべきである。

(立証)〔略〕

理由

一  〔証拠略〕によれば、原告山添昭(昭和一六年一月一三日生れ)と昭和四三年八月二九日に死亡した山添貞子(昭和一六年七月一九日生れ)とは、昭和三九年一一月二一日に婚姻届をした夫婦であること、ならびに、原告山添俊幸は右両名の間で昭和四〇年九月二四日に生まれた長男であり、原告山添綾子は同じく両名間で昭和四一年一〇月一六日に生まれた長女であることが明らかであり、他にこれに反する証拠はない。

二  昭和四三年六月一一日午前一〇時三〇分ごろ神戸市須磨区大田町三丁目一の七番地先交差点付近路上において、右山添貞子が同乗し原告山添昭の運転する軽四輪貨物自転車(原告車)と、被告の運転する貨物自転車(被告車)との間で衝突事故が発生したことは当事者間に争いがない。

〔証拠略〕によれば、右事故発生当時原告車は前方交差点赤信号のため信号待ちで停止している前車に続いて停止したものであり、被告車は原告車の後方から右交差点に時速約四〇キロメートルで接近して来ていたが、その運転者たる被告において一時原告車の動静に対する注意がおろそかになつており、約八メートル後方にまで接近したときはじめて原告車の停つていることに気付いて急停止の措置をとつたが間に合わず、かくして被告車が右停止中の原告車に追突し、原告車を約四メートル前方に押し出したものであることが認められ、他にこれに反する証拠はない。

右被告車は被告の保有にかかるものであり、事故当時被告がこれを自己のため運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。してみれば、右衝突事故で原告山添昭または山添貞子が受傷しあるいは死亡した事実があれば、被告は、その受傷または死亡によつて生じた損害を賠償する責に任じなければならない。

三  〔証拠略〕を総合すれば、

1  原告山添昭は、前記衝突時の衝撃により頸部捻挫、右前腕挫傷の傷害を受け、事故当日たる昭和四三年六月一一日事故現場近くの浜田病院でその診療を受け、続いて翌一二日から同月一八日までの間六回にわたつて住居地近くの中山外科医院に通院し、右頸椎捻挫に対する診療を受けたこと

2  同原告は三菱重工業株式会社高砂製作所に会社員として勤務していたが、右事故による受傷およびその診療のため、事故当日たる昭和四六年六月一一日から同月二〇日までの間欠勤を続け、この欠勤期間中の給与収入を失つたこと

が認められ、他にこれに反する証拠はない。

四  右第三項の事実を前提にし、さらに同項掲記の各証拠の内容を精査検討したうえ、前記傷害によつて同原告に生じた損害の額等を次の限度において認定する。

(一)  診療費 金二万〇、二六三円

浜田病院分一二、二二八円と中山外科医院分八、〇三五円との合計額である。

(二)  休業による損害 金一万七、一四五円

事故前三月間(稼働日数七五日)に得た手取収入の合計額一五六、四五六円を三で除して一二倍し、これを三六五で除して一〇を乗じた額である。

(三)  精神的苦痛に対する慰藉料 金二万〇、〇〇〇円

諸般の事情を考慮して相当と認められる額である。

以上合計金五万七、四〇八円也

五  被告は同原告に対し、同原告の身体を傷害したことによる損害賠償として右金五万七、四〇八円、ならびに、これに対する損害発生後であることが明らかな原告主張の日(昭和四五年三月二九日)以降の民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならない。(主文第一項)

六  〔証拠略〕を総合すれば、

1  山添貞子は、前記衝突時の衝撃により頸部捻挫、両膝挫傷、上腹部打撲の傷害を受けたこと

2  右受傷のため事故当日たる昭和四三年六月一一日事故現場近くの浜田病院で診療を受け、続いて翌一二日から同年八月一七日までの間住居地近くの中山外科医院に通院または入院して(このうち入院期間は六月一四日から七月四日までの二一日間と七月九日から同月三一日までの二三日間。なお、八月一七日以降も入院しているが後述するとおりこれは他の病気による)診療を受けたこと

3  右入院期間中は附添婦を雇つてその看護を受けたこと

が認められ他にこれに反する証拠はない。

七  第六項の事実を前提にし、さらに同項掲記の各証拠の内容を精査、検討したうえ、前記傷害によつて同人またはその夫である原告山添昭に生じた損害の額等を次の限度において認定する。

(一)  診療費 金一二万三、五四九円

浜田病院分一四、四四四円と中山外科医院分二〇九、一〇五円との合計額から、原告において診療費の額から控除すべきものと主張している一〇〇、〇〇〇円(被告からその内払があつたことは当事者間に争いがない)を差引いた額である。

右浜田病院分の金額は甲第五号証の一ないし三の合計額である。

中山外科医院分の金額は甲第六号証の七、同一ないし五および第二五号証の合計額である。甲第六号証中にある同医院分六四、三七〇円のうち第二五号証の一一、八六五円に対応する額以外のもの(その大部分は第二四号証の一および二に対応するものとみられる)は、他の病気等によるものと考えられるから算入できない。

甲第七号証(第二三号証の一に対応するもの)にある冨沢内科医院分一、七〇〇円および第六号証の六中にある高砂市民病院分七、二五一円も、他の病気等によるものであるから診療費中に算入できない。

(二)  附添看護費 金四万四、〇〇〇円

〔証拠略〕によつて認められる一日一、〇〇〇円の割合による附添婦日当のうちの四四日分である。その余は他の病気による入院のためのものであるから算入しない。

(三)  精神的苦痛に対する慰藉料 金九〇万〇、〇〇〇円

諸般の事情を考慮して相当と認められる額である。その一事情として後記第十項を参照のこと。

以上合計金一〇六万七、五四九円也

なお、原告らが入院にともなう氷代その他の雑費として主張する三、二七〇円は、原告提出の〔証拠略〕の氷代計二、二五〇円および同二二ないし二四のその他の出費一、〇二〇円のことを指すものと理解されるが、これらの支出はいずれも前記八月一七日以降の他の病気による入院中のものであり、その病気のための支出になることになるから、損害額の中に算入しない。

八  原告山添昭が山添貞子の夫であつたことはすでに認定したとおりであり、その原告が立場上同女の前記傷害による診療費および入院にともなう諸経費を負担しなければならなかつたことは当事者間に争いがないから、第七項の損害額一〇六万七、五四九円のうち(一)びおよび(二)の合計額金一六万七、五四九円

は同原告に生じた損害である。

よつて、被告は同原告に対し、右金一六万七、五四九円、および、これに対する損害発生の日より後である原告主張の日(昭和四五年三月二九日)以降民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならない。(主文第二項)

九  第七項の損害額のうち(三)の九〇万円は山添貞子自身に生じた損害である。したがつて、被告は同人に対し右金員およびこれに対する前同様の日からの前同様の利率の割合による遅延損害金を支払わなければならないが、同人が死亡したので、その請求権は夫または子である原告ら三名に法定相続分各三分の一の割合で相続された。

よつて被告は原告ら三名に対し、それぞれ、金三〇万円およびこれに対する右同様の遅延損害金を支払わなければならない。(主文第三項)

十  山添貞子が本件交通事故後二月有余にして死亡したことは当事者間に争いがない(その死亡の日は前認定のとおり昭和四三年八月二九日である)。

しかしながら、原告らの全立証によつても、本件交通事故(なかんずくそのさいに被告が同女の身体に与えた打撃)と右死亡との間に、その死亡の結果を被告に帰責し得るだけの相当因果関係の存在を認めることはできない。

〔証拠略〕によつて検討するに、

1  山添貞子は本件交通事故によつて前記のとおり受傷し、当日(昭和四三年六月一一日。以下暦日を指すにさいしては「昭和四三年」を省略する)浜田病院で診療を受けたのち、翌一二日から中山外科医院に通院し、頸部レントゲン検査上頸椎に異常は認められなかつたが、頸項部痛、頸部運動障碍、嘔気、頭がふらふらする等を訴え、同月一四日から入院治療に入り、頸椎ギブス固定、安静臥床のほか投薬等の加療を受けたのち、七月四日、ギブスを除去し、頸椎カラーを装着して退院した。しかし帰宅後不眠、頭痛、嘔気、食思不振があり、全身の倦怠感強く、通院困難のため七月九日再入院し、加療を受け続けたのち、食思良好となり、胃のレントゲン検査の結果にも所見がないので、七月三一日退院した。

2  その後外来にて同医院に通院加療中、間もなく咳嗽および発熱の感冒用症状を呈するようになり、八月五日から八月一二日までの間同医院で感冒としての治療を併行して受けたのち、同医院の休診等の関係で翌一三日から同月一六日までは冨沢内科医院で診療を受けたのであるが、この間すでに同月上旬ごろから身体に暗疹を生じ、同月一二日には中山外科医院で手指湿疹ということで治療を受けており、同月一四日ごろからは四肢の伸側に鮮紅色の発疹があらわれ、同月一五日にはそれが全身に広がり、富沢内科医院での診断では、気管支炎と薬疹の疑い(感冒治療用のサルフア剤等によるものではないかとのみたて)という病名であつた。

3  そして八月一七日再び中山外科医院を外来で訪れたが、顔面、躯幹、四肢(主として伸側)の全身に鮮紅色を呈する発疹が多発し、顔面、四肢に著明ら浮腫をともない、口腔内にアフターを生じ、開口時疼痛、扁桃腺腫脹発赤いちじるしく、頸部が全体に腫脹するなどのほか発熱が続いているので、同日再び同医院に入院し、前記交通事故時の受傷に対する診療はその入院当日に行なわれたのみで、同日以後、もつぱら、全身急性中毒性皮膚炎兼壊疽性口内炎(壊疽性扁桃腺炎、アフター性口内炎)の病名のもとに、輸液、肝疵護剤、抗生物質、抗ヒスタミン剤、抗プラスミン剤、副腎皮質ホルモンの投与等、これに対する診療が続けられた。

4  八月二二日ごろから同月二四日にかけて一時右症状は軽快したようであつたが、同月二五日には再び高熱を発しかつ咳嗽が出るようになり、同月二七日にはいつたん下熱したものの同日夜からは咳嗽、喀痰排出ともにはげしくなり(そのころになると急性肺炎の病名がつけ加えられた)、漸次呼吸促迫するとともに、嗜眠様意識に陥入り(一時興奮状態を示したこともあつた)、翌二八日夜、同医院の医師と高砂市民病院内科の医師とが相談のうえ酸素吸入のまま同病院に搬入されたが、ついに同月二九日午前二時一〇分死亡するに至つた

ことが認められる。

そして、最終的に診療にあたつた右高砂市民病院の内科医師の診断によれば、直接死因は肝性の疑いがある昏睡(肝性昏睡とは、肝不全により代謝ができなくなり、脳中枢がやられて昏睡すること)と気管支肺炎であり、その原因として痒性発疹があげられ、関係するその他の身体状況として栄養障碍をあげることができる。ということである。またおそくとも八月二八日の諸検査の結果ではたしかに肝蔵障碍のあることが示されている。

以上のような経過と死因の判定をめぐり、関与した医師三名(中山外科医院の中山福夫医師、冨沢内科医院の冨沢宗爾医師、高砂市民病院内科の後藤武男医師)の意見をとりまとめてみるに、

頸椎捻挫は自律神経失調を来たすことがあり、そのような場合には全身状態にも関係してくる。

頸椎捻挫は栄養障碍という点を通して死因となつた気管支肺炎に結びつくと言い得るかもしれないが、否定、肯定とも断言はできない。

従来眠つていた病原つまり身体上の欠点が交通事故にあつたことにより顕在化することもあり得る。

患者に生じた発疹は薬疹の疑いもないではない。

しかし発疹そのものは一つの症状であつて、その原因が問題であり、原因のいかんによつては肝機能障碍を合併することがある。そして、七月初めごろの不眠、頭痛、倦怠感、悪吐等の症状自体肝蔵障碍による症状に似ている。もつとも、当時の検査結果で肝臓障碍を示しているものはない。

また発疹自体が身体に打撃を与えることもある。

といつたところである。

中山医師は貞子の死亡直後その遺族に病理解剖を申し出たが、遺族はこれを断つた。病理解剖をしたとしても、それにより死因およびその間接原因等をより明らかになし得たか否かはわからないが、とにかく本件では、以上に検討した程度のもの以外にこれらを明らかにし得る資料はない。

結局、以上に検討した諸事情のなかで本件交通事故と貞子の死亡との間にどのような脈絡をたどり得るかであるが、仮に脈絡をたどり得たとしてもそれは不確かなものであるうえ、交通事故時に被告が加えた打撃の性質に照らし、そのような脈絡の上に立つて死亡の結果を被告に帰責させる(死亡に対する民事上の責任を負わせる)こと自体規範的に疑問である。

よつて、前述したとおり、両者の間に前記のごとき相当因果関係の存在を認めるわけにはいかない。

したがつて、貞子の死亡を前提とする損害(原告主張第七項の(三)および(四)、第八項の(二)、第九項各記載のもの)の主張は、その存否、程度について判断するまでもなく失当である。

そればかりでなく、理由の第七項中で触れたとおり、冨沢内科医院での診療費、高砂市民病院での診療費、中山外科医院での診療費中八月分のうち甲第二五号証の金額以外の分(甲第六号証中の金額から右第二五号証の金額を除いた分)、八月一七日以降の入院中の附添看護費、右同日入院以降の氷代その他の雑費の支出を、本件交通事故での傷害によつて生じたものとして算入することができない根拠も、叙上の検討結果によつて明らかであろう。

しかしながら、貞子は本件交通事故で受けた傷害により一時はある程度重いといえる症状に悩まされ、通院、入院をくり返し、これが治りきらないうちに時期を同じくして余病を併発し、右症状が残存するが故に余病の症状による苦しみも倍加され、しかも、両疾病を同時に身に負うた一個の患者として、すでに検討した程度内での関連性がないとは言えない以上、余病の発病そのものまたはそれによる症状もまた交通事故の受傷にともなうものではないかと受取り、その苦しみのなかで同事故にあつた自己の悲運を嘆き悲しんだことであろうと容易に推察することができ、ついに交通事故後これらの苦しみからなんら解放されることなく二七歳の若さで死亡するに至つたのであつて、その慚愧の念、精神的苦痛の程度は一般の場合に比し大きかつたものとみることができる。余病の発病とそれ自体による症状および同余病による死亡の結果そのものについては本件交通事故との間に相当の因果関係を認め得ないにしても、右のごとく一般の場合に比して大きな精神的苦痛を受けたこと自体については、すでに検討した程度の事情がある以上、少くともその一部につき右事故との間に相当の因果関係を認めるべきものと考えられる。

前記第七項(三)の慰藉料額は、その算定の基礎となる一事情として右記の事情をも加味考慮して決定したものである。

十一  以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は第五項、第八項、第九項(主文第一ないし第三項)の限度でこれを認容し、その余はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条本文、九三条一項本文、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して(ただし、仮執行の宣言は主文第六項の限度にとどめる)、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡本健)

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